趣味のソドー島再現
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Map-sodor-railways-amoswolfe-1-1.jpg
トッパットさんの記事でスタンリーのことを書いていたので中央ソドー鉄道をちょっと調べてみました。
Thomas the Tank Engine wikia 中央ソドー鉄道の翻訳を改定して書いてみました。大きく抜かしていたり新しく付け足した場所もあって、かなり原文と違うと思います。
中央ソドー鉄道は1880年から1947年まで営まれていた狭軌鉄道です。現在、廃線の一部がアールズデール鉄道に使われていますが、路線の半分はまだ閉鎖されています。ここはデューク、フォールコンとスチュアートの働いてた鉄道でした。

ソドー&メインランド鉄道でクロンク駅からピールゴッドレッドまで支線を建設する計画が持ち上がりましたが、結局実現しませんでした。1870年にピールゴッドレッドの人たちは自分達で鉄道を作ると決めました。

当初、人々は谷を下ってクロンクに行く路線を作ろうと考えていました。それは1番簡単で安く済む計画でしたが、ソドー&メインランド鉄道との接続駅を作る必要があり、それには予算が足りませんでした。そのため、人々は別のルートを探しました。

ピールゴッドレッド建設委員会はカス・ニー・ハーウィン鉱山会社と連携して、アールズデールに路面鉄道を作りました。そして、アルフステッドでの会議の後、中央ソドー鉄道は1872年に設立されました。路線はアールズバーグ、ファークァーロード、メイスウェイトとアールズデールの4つの駅とともに1874年開業しました。

その後中央ソドー鉄道はピールゴッドレッドからカークメイシャンまでの路線拡張を予定しましたが、これには高度な技術が必要で、結局、ピールゴッドレッドから数キロ離れた場所が終点となりました。

観光客輸送の大半はピールゴッドレッドからアールズバーグの間で行なわれました。しかし鉄道での実質の収入の大半は鉱石輸送でした。

1923年に ピールゴッドレッド動力会社は、街から北に1マイルの場所にダムと水力発電所を作る許可を与えられました。彼等はアールズバーグと中央ソドー鉄道を使う事を考えました。しかし、ピールゴッドレッドからの交通が滞り、中央ソドー鉄道は壊滅的であることが分かりました。1935年、マン島から1日2回来ていた蒸気船が中止されました。

いくつかの機関車と車両が売られた後、1936年に山部の路線は閉鎖されました。

第二次世界大戦の頃、交通は著しく上がりました。しかし鉱山は閉鎖されていき、1946年12月にカス・ニー・ハーウィンの鉱山で洪水が起き、最後の鉱山も閉鎖されました。そしてついに鉄道も1947年閉鎖されました。二台の機関車(フォールコンとスチュアート)はスカーローイ鉄道に売られ、1号車のデュークはシートで覆われ、アールズデールの機関庫に残されました。彼は1969年に発見され、1984年からスカーローイ鉄道で働く事になりました。

機関車
デューク(1)
フォールコン(3)
スチュアート(4)
ジム(5)
ティム(6)
ジェリー(7)
バートラム(8)(人形劇)
鉱山機関車(9)

廃棄された機関車
スタンリー(2)(スマージャ)
アルバート(4)

スタンリーはあまりに素行が悪かったためポンプのエンジンにされて、アールズデールの機関庫裏で働いた後、カス・ニー・ハーウィンの鉱山に移されました。
アルバートはかつての4号機でしたが、運転を休止し、その後廃棄されました。その後、製作者の名前を取った「スチュアート」が新しく4号機になりました。
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